市民大学でお話ししてみました(第4回)

市民大学でお話ししてみました(第3回)

悩みは、私だけの悩みではなかった。
オーナーの江上さん、そして、GO▶︎つくる大学の事務局の盆子原さん、小田原さん、皆さんも悩みを共有してくれていた。

「数学学」と銘打ったところまでは良いものの、どういう話であれば魅力を感じてもらえるのか、あるいは、どういう表現をすれば、その魅力が伝わり、セミナーに参加してくれるのか、

試行錯誤は続く。

物理のように現実の世界ではないところにあるもの
それが、いつの間にか「神さまの世界の話」に置き換わり

GO▶︎つくる大学は、みんなで考える場所、そこに意味がある
というお話を聞いて
「数学を解くことはすでに私にはできないし、考え方とかを紹介するんですかね?」
と軽く答えたのだが、それが、
「解かない」
というキーワードになった。

こうして
「解かなくてもいい数学〜神さまの証明〜」
という講義名が生まれた。
実際の名付け親は、江上さん。

しかし、この頃にはすでに講義の表題の一部は決まっていたのだ。
① 算数と数学は、ココが違う!
② 数学を学ぶことにハードルがあるのはなぜか?
③ 実社会に役立つ数学とは?

「神さまっぽい」ことと、「解かない」ということを前提に、すでにGO▶︎つくる大学のWebページでオープンになっていた講義の表題に沿ったカリキュラムを仕立てなくてはならなかった。
「神さま」と「解かない」
の二つの言葉が頭を巡る。そんな日々が続いた。

そして、この時、第3回でお話しした、戸田市戸ケ崎教育長が発してくれたアインシュタインの言葉が響く。
「教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう。」

数学を学んで、そしてそのほとんどすでに忘れてしまっている今の自分。
その私が、物事を考える時に大事にしていることは何か?
2つの言葉が浮かんでいた。

「本当にそうなのか?」
「見えているものは一部に過ぎないのではないか。全体が見えるようになると違う景色になるのではないか?」

この2つの言葉を思い浮かべた時に、

「見えているものと、現実には存在していても修行しなければ見えないものがある。」
「数学を学ぶ努力(=修行)をすると、神さまの目線が少しだけ会得できる」

ということなのではないか、ということが頭に浮かんできた。

どうしても、我々は現実の世界に引き戻される。
それは、現実の世界に生きているからだ。
神さまの世界を想像することは、それゆえに簡単ではない。
しかし、神さまの世界を知ってしまった人から見ると、それはさほど難しいことではない。という事実。
そういう実例を、そう言えば、大学の教養学部時代に学んでいた。

鳥居修晃の「視覚の心理学」の先天盲に対する研究、そして、ピアジェの「発達心理学」における数や量の概念だ。
25年以上前の話。記憶を辿りながら、古い書籍を段ボールで探し、ネットで情報を集めていく。
書籍を手に取り改めて読んでみる。
25年前の記憶が蘇ってくる。これだけでも、この仕事を受けてよかったと思える時間になった。




「神さま」は、クリアされた。
残るは「解かない」だ。

第5回に続く