教育ってなんだろう

ある町でのお話

教育に関わっている方とお話をしたところ、
「学力に関心がないんですよ、地域の大人たちが。。。」
「保護者会の会長も
『学力なんかどうでもいいんだ。大事なのは体力だ。俺は、体力があったから、今、ちゃんと仕事ができている』
と言っていますし。。。」
と、困り顔。

私は、
「本当にそうなのか、保護者会の会長に聞いてみました?」
と返した。

  • 体力があった人は、すべてちゃんと仕事が出来ているのか?
  • 体力がなくても、ちゃんと仕事が出来ている人はいないのか?
  • 保護者会長が50歳だとして、今、0歳の人が50歳になる50年後も「そういうことだ」と言える理由はなぜ?
  • そもそも保護者会の会長が言っているだけのようだけど、他の大人も全員そういう意見なの?

教育は一億総評論家、とよく言われる。
しかし、実は、私も含めて、つぶさにわかっているのは
「自分の人生という一つの事例を知っているだけだ」
ということは肝に銘じておくべきだと思う。

ITがご専門の大学教授と話していた時に、
「『今は、何の為にプログラムを書くのか?』ということを学生に教育しないといけないのです。。。」
という話を聞いて、何を言われているのか、わからなかったことがある。
「課題解決の為にプログラムを作る」
のが当たり前ではないらしい。

昔は、必死に作った大量のプログラムも、今は、一行書けばできてしまう、というほどに部品化が進んでいるらしい
(と書きながら、本当に、こういう説明で良いのかも心許ない)
だから、
「組み合わせてみたら何ができるか」
という感じでプログラムを書いている、というのが現状のようなのだ。

教育を考える時、将来はどうなっているのだろう?
そして、その変化はあまりにもハイスピードで進んでいってしまう。
Softbankの孫正義氏が、
「事業計画は、100年度を予測してから考えないといけない」
という趣旨の事をプレゼンされていた数年前の事を思い出す。

英語は大事だということで、小学校での本格的な授業が来年度から始まるらしい。
だが、20年後には自動翻訳して伝えられる機能が普通に日常で使われる時代になっている気もする。
その時に、「英語がネイティブで話せる」ということには、どういう意味があるのか???
(ちなみに、不要になるとは思っていない、、、が、どういう状況になっているかも想像せずに教育されては、たまらない)
ベストセラーだった「LIFE SHIFT」の風景のように、人生で複数の仕事と経験するのが当たり前になった時、
「終身雇用を前提とした企業教育は意味があるのか?」

考えれば、考えるほど
「考えることが大切だ」
ということに気づく。
将来どうなるのかという問いに対する答えは、予備校も塾も大学も教えてくれないからだ。
知識をもとに、自分で考えるしかない。

「ネットがあるから知識は不要」
という乱暴な意見がある。
「考えるために何が必要か」を、ネットは教えてくれない。
だから、知識も必要だし、考える力も加えて必要

そういう時代がやってくる。
子供は大人を真似て「学ぶ」
だから、大人が考える大人になることが、実は、教育のスタートラインだ、と最近考えている。