次世代ガバメント(小さくて大きな政府の作り方)を読む

次世代ガバメント(小さくて大きな政府の作り方)を読む。
ちょっと長文ですが、自分の感想もふくめてまとめておく。
いずれにしても、とても良い本だったので、行政という視点、国民として公に積極的に関わっていくという両面で、全ての人が読んで考えるために良い本だ。

歴史的に考えれば官僚機構というのは素晴らしかった。それまでの権力構造からできた統治機構とは異なり、ガバナンスに基づき公平公正を実現する組織づくりを目指したからだ。

ところがいくつかの課題が見えてきた。
① 人間がやる以上ミスが起きる(バグ)。腐敗する。
② 人々が多様化するにつれて要求に多様性が現れた。それを実現するには大きな政府に向かわざるを得ないが、それは財政肥大化を生む。結果、小さな政府を目指さざるを得なくなった。

②は市場原理主義全盛の時期と重なったことで、民間に任せるという方向性が生まれたわけだが、これは同時に、
「利益が出ないところからは撤退する」
という当たり前の帰結を生む。

結果、二極化と弱者保護という議論が生まれているが、さらに広く包含する概念として
「インクルージョン」
が生まれ、その実現が今の課題と言える。

この①・②を解決できるのが、デジタルトランスフォーメーションであること、そして、行政職員の活躍の場を買いつつ、官民の狭間にある別の事業体が運営していくことになるんではないか、ということを、この本は全編を通じて語っている。

行政事務の90%はRPA化できるという。
「行政職員は事務処理が仕事」といわれてやっているケースも多い。その転換を迫られることが必至だが、急にやれといってできるものではない。ちょうど人生100年時代に学び続けることが求められることと同じように、転換のために常に学びができる環境づくりを自治体が実現できているのか、そこがポイントになる。

そもそも、エストニアについて言えば、ソ連邦の行政職員の腐敗を知り尽くしていたこと、ソ連邦の中でもデジタルについて強い地域であったということが幸いし、デジタル化に大きく舵を切ることができたし、その必然があったということは、事例としてわかりやすい。

一方で、デジタル化は、情報の活用による豊かさと同時に、監視社会についての不安を生むことになる。
これは匿名データと個人データの取り扱い、ということに区分をして議論すれば解決するし、EUにおけるGDPRなどの制定も参考になる、というのがこの本の一定の結論のようだが、まだまだ法令面は深堀が必要だろう。
それよりも「自己が保有しているデータで稼ごう」という日本の企業の動きをどう変えていくのか、というところの方がハードルが高いかもしれないという気がする。

一つ驚いたのは、フィンランドなどはすでに個人の給与すら公共財としてオープンということ。これはGDPRの動きに反しており、それ自体認められるべきでないという見解もでているが、それよりは、これが「差別」ではなく「区別」という形に落ち着いているとすれば、文化としての「寛容さ」のようなものが事前に整備されていることも、デジタル化を進める上で大切だということかもしれない。
この本が伝えることは、デジタル化と同時に、それを受け入れていくための人間社会の構造変革のようなものが必要だということを解いている、ということのように思えてくる。

そのためには、国家の一元管理でも、市場原理でもなく「コモン(みんなで所有する)」という概念が大事になってくるという。これは、ポストコロナでたぶん注目されると思われる宇沢弘文が言い出した、社会的共通資本の概念だ。そこにデジタル化が到達しているところが面白い。

これに符合するように、デジタル化を、行政府でも民間でもないPPP的第三者が行うという現実が提示されているのも面白い。「PPP=ハコモノ」をイメージしていまうが、システムこそPPPでクリアすべきだという気がする。日本の企業の動きを変えていくためにも、PPPは解決策の一つになるのではないか。



この本を読み終わってふと思う。
ポストコロナで、仕事がオフラインからオンラインに変化した。
当初は、オンラインはオフラインの代替手段と考えて、ぎこちなさの中にいた。
しかし、今は、オンラインだからこその振る舞いや特徴が心地よく、オンラインとオフラインは別の価値があるものという感覚になっている。
デジタルにおける公共圏という新しい世界では、市民も行政もどう振る舞うべきなのか。
そこは新しい世界だからこそのルールがあり、だからこその幸せなありようがあるのかもしれないという期待感も示唆される。
その世界にうまく進化し変容していくことが、多様で豊かな世界への切符を自分が得るために大事だということかもしれない。