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2019年2月18日更新 

【対談】「こもねっと」の15年(前編)

 

昨年の水害で大きな被害を受けた、愛媛県の南予地域。

その中心都市の宇和島の南に、三浦半島が長く突き出している。

その先端にあるのが蒋渕地区。半島の入り口から25kmの道を走り続けると、入り江を囲むように静かな海が広がる。

昭和30年代後半からハマチや真珠の養殖が始まり漁業組合を中心に栄えたが、魚価の低迷や真珠貝の大量へい死など様々な状況の変化により、現在は最盛期の半分以下の組合員となり、全人口も300人ほどの集落となっている。

衰退する地区をなんとかしようと、若手が立ち上がったのが15年前。

企業組合「こもねっと」が設立された(平成26年4月より法人化)。

今回は、その15年間を振り返りながら、町を変えるリーダーの役割を考えてみたい。

清家:清家裕二さん(企業組合こもねっと事務局長/宇和海郵便局長)
澤 :澤 尚幸(一般社団法人Community Future Design代表理事)

 

夏の蒋渕地区

夏の蒋渕地区

澤:お久しぶりです。私が蒋渕に来るは3回目。三浦半島のこの25kmの道のりは、

「長いなぁ〜」

と思いながらも、途中からの尾根伝いの一本道は眺めが素晴らしく、時々、車を停めて写真を撮ってしまいました。リアス式の海岸、遠くの佐多岬半島の景色、養殖いかだの並ぶ海、段々畑、ここだから見える開放感がありますね。
今日は、こもねっとのこれまでと、蒋渕の未来を清家さんに語ってもらおうと思っています。

清家:遠くまでありがとうございます。
こもてらすで海を見ながらも良いのですが、せっかくですから、ちょっと歩いてみませんか?新しく展望台作ったので。

あ、あの、蒋渕の入り口にある細木運河のところでしょ?なんだか、すごい看板が立ってるな、と運転しながら思ったんです。

新設された展望台の看板

新設された展望台の看板

清家:みんなで開拓しました。蒋渕を眺められるようにしようという作戦です。運河の先端まで道を作ったんですが、なかなかメンテナンスができなくて。インバウンド向けの整備交付金で作っているので、いろいろな人に来てもらえたら嬉しいな、という思いもあります。
藻塩を使った梅干を作ろうと梅の木も植樹したんですけど、鹿が一部食べてしまいました。

澤:こんな半島の先にも鹿がいるんですね。

清家:いますね。そういえば、今日は、鹿肉が手に入ったので、ご馳走しますね。鹿肉大丈夫ですか?

澤:大好物です。

 こもねっとの15年

澤:まずは、こもねっとの歴史をお伺いしましょう。

清家:設立は平成16年(2004年)の10月です。ほぼ15年前です。

澤:その間に、人口はどのくらい減少したんでしょう?

清家:おおよそ100人ですね。

澤:初めてお話をさせていただいた時、

「地域を活性化することが、私が地元にUターンし、郵便局長となった理由です」

とおっしゃっていたのが鮮明に記憶に残っているんですけど、こもねっとを若手の皆さんと一緒に設立された理由は、産業の活性化なのか、それとも人口減少や高齢化も含めたイメージがあって、だったのでしょうか?

清家:目標は明確で、低迷している養殖という基幹産業をなんとか改善したい、ということでした。昭和40年代には、養殖が活況になり収入も多く、多くの家が良い家に建て替えをしました。見ていただいたら分かりますが、古い家がほとんどないのが、この蒋渕地区の特徴でもあります。いわゆる古民家がない。

ところが、魚価はどんどん下がっていき、漁協も全ての生産者のフォローができなくなるというような事態が発生してきました。フォローできなくなる、つまりは、融資が続けられなくなる、ということです。そうなれば、この地区では生活する方法がありません。

産業を持続すること、それには、養殖した魚を売るしかありません。まずは販路を広げようということになりました。

澤:販路?

清家:そうです。できることからやろうと。

季節だよりを作って、知人や元住民に送りました。それが、こもねっとを設立した、平成16年10月です。今でこそ、印刷屋に作ってもらった良いチラシを送っていますが、当時は、コピー。郵便局としては郵送代が入るので、ありがたい話ですが、こもねっととしては、当然、費用がかさむだけ。考えてみれば、当たり前で、蒋渕の季節だよりには、商品掲載などしていなかったのです。

澤:(笑)

清家:蒋渕季節だよりの第一弾の商品は、当時珍しくこもねっとの代表が養殖していた「カンパチ」
これが、結構、反響が高く、弾みがつきました。

「蒋渕も結構良いこと、面白いことをやっているね」

というような、お便りをいただいたりしましたね。

澤:まさに、最近流行りの言葉でいうと、「関係人口」作りっていうところでしょうか?

清家:そうですね。
ところが、反響の中には、「こんなでっかいカンパチを送ってもらっても処理できない」という声も多かったのです。
それで、「切り身にして、一夜干しにしよう」という加工という作戦が始まりました。当時は、ECサイトなんていう概念もほとんどなければ、六次産業化なんていう言葉もありませんでした。なんとか、手探りでここまで来た、という感じです。

澤:さらなる販路の拡大のようなことはイメージされていますか?

清家:スーパーマーケットでの展示即売のようなものはやっていますが、一般的な販路拡大となると、このくらいの規模の団体でやるには限界があります。
私は、企業組合こもねっとの事務局長ではありますが、一方で、郵便局長という立場もありますので、都会の郵便局と、地方の郵便局が連携して、顧客と生産者をつなぐという仕組みを作るチャレンジをしています。
地域の生産者はどこも苦労をしているはずで、そこで生きている郵便局長と、良いものを求めている都会の顧客をダイレクトにつなげれば、新しいマーケットが作れるのではないかと思っています。

澤:確かに、それは面白いですね。
ECの課題は、品質保証だと思っています。
地域の事を知る「郵便局長」が品質を保証できる、ということであれば、それが新しい付加価値になるかもしれません。

「こもねっと」の基地「こもてらす」。 飲み物はもちろん、真鯛のランチや海鮮BBQ(要予約)を提供。

「こもねっと」の基地「こもてらす」。 飲み物はもちろん、真鯛のランチや海鮮BBQ(要予約)を提供。

清家:一方で、魚価の問題は、15年前よりもさらに悪化しています。
実際に、漁協の体力も落ちていますし、この地区の漁協の職員も専任は3人程度。これでは、魚の担当、真珠の担当、その他で、手が尽きてしまい、新しいことを実現するというようなことはとてもできません。
また、いくら「こもねっと」が頑張ると言っても、売上は年間数千万円程度。養殖の生産者は、売上1億円は普通。これでは、まだまだ、この地区で「こもねっと」が柱で頑張っていると胸を張るには程遠い状況です。

澤:以前、お話をしたことがあると思いますが、ぶり養殖で有名な鹿児島県長島町。それまでのイワシ漁から養殖に転換したのは昭和40年代。蒋渕と似たような状況です。東町漁協の組合長さんとお話をしましたが、生産管理、価格調整、当然ながら、海外への輸出も柱ですから、為替などにも細心の注意を払っているのがよくわかりました。
結局は、経営力が必要になるのだと思います。
特に、農業も水産業もリスクを伴いますから難しい産業だと思います。

清家:実は、この3年ほど、真珠の調子が良いのです。調子が良いからそれで良いにはせずに、未来に向けて、例えば、経営のセミナーを始めていくとか、そういうことが本来は必要なのではないかと感じています。

澤:昨年流行ったP/L脳ではありませんが、経営的なスキルの向上は、地域全体に必要な課題だと、いろいろな地域に関わっていて感じています。

<後編へ続く>

こもねっと
http://www.komo-net.com/

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