自治体の社会的入院を考える

社会的入院。

社会的入院 (しゃかいてきにゅういん)とは、入院の本来の趣旨を逸脱して、必ずしも治療や退院を前提としない長期入院を続ける状態のことを指す。
(出典 Wikipedia)

この社会的入院が、医療費の増大を招いているということ、社会問題化している。
また、本来患者が望んでいないにもかかわらず医療行為が行われているものがある、という話もある。
例えば、森田洋之著「破綻からの奇跡」には、
「胃瘻が苦痛で、その取り外しを望んだ」
「噛む、食べるということの喜びを改めて感じた」
「その結果、ずいぶん、元気に回復した」
というような話が掲載されている。
結果として、その後、この方は消化がうまくいかず亡くなられたようだが、
「生きるとは何か」
を示す逸話だ。

シンプルに言えば、回復の見込みがないのに、本人の希望もなく、生命の維持をし続ける、という行為と言えるかもしれない。

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ふと、
「自治体も社会的入院と言える状態になっているのではないか」
と感じた。

人口減は着実進む中で、
自ら地域を復活させるというような、厳しいリハビリをすることもなく、
交付金や補助金で、なんとか延命する
さらには、「交付金がなければ生活できない」と訴えることが仕事のようになる、
本末転倒だ。

疲れた時に、時折「栄養ドリンクを飲む」というなら、わからぬでもないが、
常に飲み続け、依存症になってしまっては、
「社会入院状態」
と揶揄されても、仕方がない。

「社会的入院が医療費の暴騰を招くように、自治体の社会的入院は財政負担を増大させている」
とは言えないだろうか。