本当にUターンはできるのか。。。

3月に久しぶりにふるさとに戻って考えたこと。
「ふるさとにUターン、というのは、自分にとって現実解か?」

地域活性化に、Uターンは欠かせない、と私は思っている。
地域の文化
地域のしがらみ
を知っていて、かつ、
地域を地域の外から見た経験は、地域の強みと弱みを見つけるための
「比較対象を持つ」
という特性を持ち、
さらには、地域外だからこそ学ぶことができたであろう、ノウハウを
有している
という特徴があるからだ。

空気、環境が良い。
満員電車もない。
やはり都会にはない気持ち良さがある。

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昔と異なり、Webがあるので、情報も遜色がないし、ECサイトを使えば、
ほとんどのものを都会と同じように購入することができる。
それどころか、新鮮な野菜など、地方だからこそ得られるものがある。

ここまで考えれば、Uターンはできそうだ。

でも、やはり、私は踏み切れない。
何が地方に足りないのか、、、

「人との直接的なコミュニケーション」

ということじゃないか。
アポイントを入れさえすれば、地方から都会に出かけて行き、ほとんどの人に会うことができる。
TVや電話会議のシステムを使えば、実はいつでも、どこでもほぼコミュニケーションは実現できる。
それでも、やはり都会にいるからこそ
「ちょっと会いたい」
と思えば、複数のチームメンバーと会うことができるというメリットは捨て難く、
また、これを、地方で実現することは難しい。

「そこまでスピードを求めるべきなのか?」
「そこまでのリアリティーが必要なのか?」

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悩むところだが、今の段階では、まだ、私はこの優位性は捨てられない。
刺激的な人の、特別なオーラー、みたいなものは、やはり対面じゃないと感じられない。
効率性を求め続けるというセグメントが、この世に続き、それが、富と直結する限り、この流れが逆回転するということはあるまい。グローバリズムの修正はあったとしても、皆無になるとは思えない。
だからこそ、ギリギリ選んで、今なら、Uターンではなく、
「二地域居住」
といったところではないか。
これなら、自分の時間を、最適なところにシェアできる。

もちろん、製造業であれば、
「その最適な原材料が得られる地域に定住する」
というような形が最適解であろうから、あくまで、
「僕がUターンを考えると、一歩踏み出せない」
と言っているのであって、これが全ての人々に対しての最適解である、というつもりは毛頭ない。
価値観は多様だ。

そういえば、昨年の9月に「地域活性化の持続性」というお題で、こんなことを書いていた。そもそも、移住の意味合いは「そこに行かないと実現できない」という条件が必要なのだ。
https://www.cofude.com/column/346/

問題は、
コミュニケーション、ということが前提に成っている仕事を前提にすれば、
「グローバリズムを選ぶのか、ローカリズムを選ぶのか、の境界線は、
どうもこんなところにありそうだ」
ということと、
Uターンを促進するということは、
「それぞれの人にとっての最適解を提案する」
という途方もなく大変な仕事である、という認識が必要である、ということだ。