コロナで社会構造が変わるために

新型コロナウィルスで、社会構造が大きく変化するだろう、という論調が出てきた。

「何か大変なことになるのか」
というとそうでもないような気がしている。
多分、気づいている人はとっくにそういう方向に動いていて、その動きを受け入れられない、とか、既得権その他で受け入れたくない、という人々との争いが、このコロナウィルスのおかげで大きく変わるだろう、まあ、そういうことなのではないか。
その意味では、環境の変化にしぶとく抗っている人々にとって驚異になるのだろう。

おおよそ、ICTやAIへのシフトだが、その中で、
「でも人間だよね」
という心の豊かさ。
先頭を走る人は、すでにそのバランスを考え始めていて、行動に移している。

小売を考えると分かりやすい。
まずはここ数年でECサイトヘ、どどっとシフト。
リアル店舗の意味合いって何だろう、っていうところが議論され、ECで俄然鮮明になった物流、特にラストワンマイルのコストの問題は、私が郵政にいた5年前にはすでに大きな話題になっていた。
人件費の高騰が課題なわけだが、そのために、トラックを連結にしよう、自動運転だ、いやドローンで個別配達ができないか、効率化というベクトルで、人からICTやAIへという動きへも急速にシフトした。

ところがである、
実際、新型コロナウィルスで自宅待機、在宅勤務で、ということになると、
「正直、寂しい」

スーパーマーケットにはマスクをした人がやってきて、やはり何らか人との出会いを求めてしまう。

オンラインで会議、オンライン飲み会、ケータリング、テイクアウト、産直などなど、接触しない形でのコミュニケーションを取ろうとする新しい動きが増えている。
外を散歩すると、マスクをしながら外で喋っている集団に出会うわけだ(女性と若者が多い気がする)

要するに「ICT・AIと人間力のバランスが必要」ということを教えてくれている。

ところが、この「バランス」という話が厄介だなと思う。
そもそも、これまでも「バランス」を議論してきたはずなのだから。

昨年、はんこ議連で「印鑑とデジタルは対立しない」みたいな話で盛り上がり、結局の所、行政手続きにたくさんの押印が残ってしまったのが記憶に新しい。
バランスをとったはずなのに、現在、押印のために出社している、という嘆きが多い。
ということは、バランスをとる議論で、何かを
「間違えた」
ということなのだろう。

ちなみに、私は印鑑文化は否定もしていないし、印鑑の持つ「威厳」はとても大事だと思う。
倭の奴の国王の金印は素晴らしいとも思うし、
天皇陛下の御璽がjpegでは、やはりちょっとどうかなと思う。
これこそバランスだろう。

RPAとか言って騒いでいた人々もどうかなと思う。
RPAだけを考えると、プロセスをただシステム化するだけ。昭和時代の情報化プロセスと何ら変わらない。
その裏にあるデータ連携や、BPRなどを前提に、プロセスを思想的なものも含め再構築する、という大きな仕事でないと効率化にも将来的な価値も生まれない。
昨年来、Code for Japanの方々といろいろ話をさせていただく機会が増えた。
一番の難題は、
「これまでのプロセスを変えたがらない人々」
にあると実感する。
その人々は、令話の時代になっているのに、昭和の感性のまま生きているということを知るというインターフェイスを持っていないのである。
人は未知なものは理解できないのではなく、「感知できない」ということを常々理解しておかないといけない。

要するに、これまでの「バランス」はどうしても保守の方向に偏りがちだ、ということを肝に銘じておくべきだ、ということだと思う。

新型コロナウィルスが教えてくれているのは
「オンラインで何でもできるようにしておこう」
その前提の上に「人と人のつながりも文化も歴史も大事だ」というステップで議論を進めればいいんじゃないの、ということなんじゃないか