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2018年5月5日更新 投稿者

ふらっと伊勢へ

ゴールデンウィーク(大型連休)の前半。
ふらっと故郷の伊勢へ。

伊勢神宮の萱場のある神岳。
この神岳を望む高台に広がる米山新田は小学校への通学路。
この先に軽い峠があり、下ったところに木造平屋の小学校がありました。
小学校6年生が先導してこの新田の中を集団登校。
今は、圃場整備がされた美田が広がります。

水の来ないこの高台は、そもそもは水田には適しませんでした
この地域の庄屋だった米山家が私財を投じて江戸時代に開発したものです。
遠くの横輪川から、山に穿たれたトンネルを経由して水が届けられる、そういう大規模土木工事が行われました。
水田の中央には、その開発を讃える石碑が建立されていて、
登下校で必ずここを通るのです。

この石碑に興味を持ち、新田開発を調べ始めたことが、郷土史に強い興味を持つきっかけになりました。
石碑は当然漢文で書かれていたため、母親の高校時代の漢文の教科書まで探し出して勉強し、
米山家に訪問したり、寺の住職に話しを聞いたり、市の支所から古文書を借り受けたりと。。。
当時は、本気で国史学科に進もうと考えていた不思議な小学生でした。
この風景が私の原風景です。

しかし、今、周囲を見回すと、
アケビを採った山は巨大な工場となり、
峠にあった「みかん園」は住宅地に。
柿の農園も無くなってしまって、
夏に毎日遊びに行った川は全て護岸整備がされて、草っ原がコンクリートへ。
自転車で走り回った高度成長期に開発された別荘地は荒廃し、太陽光パネルの並ぶ丘へ。
母校の中学校はすでに廃校。
中学校近くの、おばさんの野焼きが大火事になりかけた田畑や
夏のバレーボール部の練習の都度、水汲みに行った井戸は健在。
登下校に立ち寄ったよろず屋は廃業し、
夏祭りの神事である「かんこ踊り」を練習した木造の公民館はプレハブへ。
小さい集落の中まで、コミュニティバスが走っている。
30年以上の歳月というのは大きい変化をもたらすものだ、ということを改めて感じずにはいられません。

地域の仕事をしていると、みなさんから「郷土愛」という言葉が出て来ます。
「郷土愛のある子供に育てたい」
と。。。

何が郷土愛につながるのか、、、
そんなことをちょっと知りたくなって、故郷に足を運んでみました。

このとおり、私が知る過去の郷土の姿は、すでにその大半がすでにありません。
つながっている友達もほぼいません。
しかし、それらは、
「記憶の中」に豊かに残っています。
「やっぱり、ここに来るといいなぁ〜」
と素朴に思うわけです。

いじめられたこともありましたし、必ずしも良い思い出ばかりではないのですが、
どういうわけか、そういう嫌な思い出があまり気持ちに出てきません。
(嫌なことは忘れるように人間の脳はできている、と聞いたことがあります)

結局、どうすれば「郷土愛が作られるのか?」については、
「帰巣本能みたいなものかな」
と理解することにしました。

光や音、空気感、水の味、山の有機物の匂い、方言などの密度の濃い経験が、結局、
「居心地の良い居場所」
をつくってくれる。
それが「郷土」を「郷土として感じられるもの」に育ててくれるように思います。

本当に「そこだからこそあるもの」を子供たちに提供できているのか。。。
それが画一化されてしまうと、
結局、どこに「帰巣」して良いか分からなくなってしまうではないか

というところが、キーになるように思います。

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