懐かしい未来

2018年度は、この本から始まった。

自然と助け合い、笑顔が絶えない土地であったインドのラダック。
そこが西洋化され、その中で失われていったものが
「そこに居続けた筆者の目」
を通して描かれている。

西洋化されるということは、「金(かね)」という尺度を知ることだった。
「金」は、いろいろなものを解決できる魔法の手段に見えた。
様々な欲求、それはきらびやかな誘惑を含めて満たしていくものだった。
だからこそ、人は「金」を求めることを優先する。
一種の麻薬だろう。

そこから生まれたのは

  • 牛糞から得られる燃料ではなく、遠くから運ばれる石油に変わり
  • そのために発生する多くの物流であり
  • 昔から大切にしたものを安く買い叩いて、高く観光客に売ろうとする人であり
  • グローバル化であり

失ったのは

  • 豊かな自然であり
  • 渋滞で失われる静かな環境であり
  • 信頼溢れる人間関係とそこから生まれる笑顔
  • 地域の個性

だった。

「金」は、いろいろなものを解決できる魔法の手段でもあったが、同時に
いろいろなものを失う手段でもある
ということを問いかける。

しかし、ラダックの人々は、時間が経過する中で、西洋化の現実を知り始めた。
それは、
「自然破壊、そこに存在する貧困や犯罪」
まさに、西洋化で失われたものだ。
こうした「虚構とそれへの対処法」を伝え、「固有文化の重要性」を叫んでいるのは
西洋での滞在経験のある人々である
という。

この本が、25年前に書かれている、ということが驚くべきことだ。

読み進む中で、10年ほど前のことを思い出した。
ある政府の高官の方と会食の機会を得たときに、一冊の本をぜひ読むように、と薦められたことだ。

渡辺京二著「過ぎし世の面影」
そこには、江戸末期から明治にかけて訪れた外国人の目を通して語られる日本が詳細に書かれていた。
貧乏ではあるが、整然と整理された街並みや田畑、そして人は礼儀正しくや温厚で笑顔に満ちている。
そんな内容であったと思う。
昨年末に訪れた、千葉県の川村記念美術館に展示されていた、同時期の写真の美しさとも符合する。
この本も、20年ほど前に書かれたものだ。

ラダックが西洋化で失ったもの。
日本が西洋化で失ったもの。

今更、明治に戻ろう、原始生活が良い、などと言うつもりは毛頭ない。
「金」は便利なものだ。
リスク・リターン、経済価値など、今の日本人には金融知識が不足しているとすら考えている。
しかし、
我々は「金」に使われてはいないか。
「金」の奴隷になっていないか

地方活性化も交付金やクラウドファンディングという「金」から議論が始まり
子育て対策や教育も「金」から議論が始まり
貧困問題も生活保護などの「金」から議論が始まる。
それが、今の現実だ。

「いくら「金」があっても、真の友人はできない。」
ということを改めて考える時、

  • 「金」では得られないものとは何か
  • 「金がない」という前提で、何ができるのか

シンプルに、そういう思考過程での景色も楽しんでみたい。