石見銀山(最終回)

さて、今の石見銀山を堪能した翌日、銀山の坑道である「間歩」を歩く。
と言っても、大半は人がやっと入れる程度のもので、歩いて観光できる「龍源寺間歩」に行く。

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メインの坑道とて、やや屈んで歩むかなくてはならない。そこから、銀鉱脈を探し続けた無数の細い枝とも言える坑道が伸びている。
中村ブレイスの中村代表が収集された、鉱山にかかる絵巻に描かれているような、過酷な状況は今はなく、ひたすら涼しく、静かだ。

間歩から緩やかな道を下っていく。
そこに、穏やかな古民家群が広がっている。
残った間歩。
残った古民家群。

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そういえば、ふと、午前中に案内いただいた、石見銀山生活文化研究所の倉庫のことを思い出した。
古民家の解体などから出された、古い材をひたすら集めた倉庫だ。元、小学校だったという。
骨董屋は「一つとして価値のあるものはない」と言った、と案内いただいた三浦さんの言葉。ただ、この古い材が、現代のものと古という、時空をつなぐ役目になっているのだ。
新しい建材を使うのでなく、古い材を使う。ただ、それだけ、新しい建物に、ちょっとした歴史が呼び込まれる。
「すでに、作られていない、板ガラスなどは実は貴重なのです」

過去の歴史を壊し、近代化を進める。
それは、急激に時空の断絶を起こした。
それが、その地域の文化である、とすれば、それはそれで一つの答えだろう。
ニューヨークの摩天楼、シンガポール、あるいは、昨今の北京や上海といったものを見れば、多くの断絶とともに、急激な経済成長の印を作り上げている。

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日本のグローバリズムは、各地に、東京を接ぎ木する、という行為だった。
石見銀山は、石見の歴史にあった石見の生活文化をつなぐという選択をした。
確かに、コンビニすらない、という現在だが、そこに、
「間歩から出てきて違和感のない、古民家の街並み」
というスムースな連続を生むことができている。

地方を断絶し急速な都会にする、という歴史は、人口オーナス期に入った日本には難しかろう。
となれば、
「過去の歴史が持つ空気感と『連続した』、新しい地域のあり方を目指していく」
ということが、ある地域の活性化において、一つの解答になっているのではないか、ということを、石見銀山は教えてくれているのだ。