市民大学でお話ししてみました(第7回)

市民大学でお話ししてみました(第6回)

神さまの世界

ずっと悩んでいたのは、どうやってみなさんを「そこ」に引き入れればよいのだろうか、ということだった。

少し言葉を整理すると、
現実は「フツーに人が理解できている世界」であり、
全体は、「現実」に「神さまの世界」を加えたもの
ということになる。

第6回でお話しした通り、先天的に盲目の人が見えるようになった場合には、二次元すら把握すること難しい場合がある。
しかし、我々は絵という2次元の世界の中に、3次元を感じることができる。
つまり、現実と神さまの世界の間の境界には、個人差があるということになる。

「子どもは天才だ」

と言われる。

大人になるということは、経験を積むことで「現実」を形成していくということに他ならない。
が、その代償として、経験から生まれる制限を獲得することになる。
「天才的な創造性が失われる」
これを示しているものの一つが、ピアジェの「発達心理学」だ。

例えば、○も△も□もトポロジーの世界で言えば、同じもの(数学的には同相)ということになるのだが、
子どもは、そもそもこれらを別のものとは認識していない。
発達するという中で、それぞれが別のものであると認識できるようになるのだという。

さらに、体験をしてもらう、というのも「引き入れる」ためには有効かもしれないと考えた。
ピアノの練習だ。
ピアノは、子どもの時から長く練習する中で上達する。
(一部の天才は除く)

「両手を、親指・人指し指から小指の順に同時に動かしてみる(運指①)」
これはさほど難しくない。
ところが、
「左手は小指・薬指から親指の順に、右手を親指・人指し指から小指の順に、動かしてみる(運指②)」
ピアノを弾く人には何でもないのだが、普通には簡単ではない。

ピアノの指の練習では基本中の基本。

「なぜ、簡単な運指と、そうでないものが混在するのか」

出典はすでに忘れてしまったのだが、
人間というのは、そもそも、左右対称になるようにプログラムされているらしい。だからこそ、運指①は難しくない。
ピアノの練習を積むということは、
「そのプログラムをぶっ壊す」
ということなのだという。

ピアジェは、発達の過程で、経験が制限を加える話。
ピアノは、そもそもプログラムされているものを、経験でぶっ壊すという話。

どちらにしても、
「現実というものは、努力で自ら変えることができるのだ」

現実の壁を少しだけ広げてみる。
そこから、
「神さまの気持ちの領域に入ってみる」
ということを、少しだけ感じてもらおう。

第8回に続く