市民大学でお話ししてみました(第2回)

市民大学でお話ししてみました(第1回)

今回のオーナーはゴウツゲストハウジーズの代表である江上尚さん。
江上さんとのお付き合いは3年近くになる。
「『数学学』をやりませんか?」
と今年の5月末に声をかけてくれたのは、江上さんだ。

(左が江上さん、右が筆者。中央は、アサリハウスの佐々木さん。ハマボウフウを採りに浅利海岸へ。)

私の仕事のフィールドの一つである、福島県西会津町。
薄友喜町長が「教育で町を変える」と声をかけ、昨年の冬から教育の進化に着手した。
「過疎地と教育」といえば、島根県。高校魅力化。
奥出雲町の横田高校や、江津市の江津高校での取り組みが参考になるはずと、西会津町の若手キーパーソンをお招きしたのが5月末だったのだ。
魅力化だけでいくらでも話ができそうだが、今日は、横道にそれず数学学の話へ。

くしくも教育の話を聞きにしたら、自分がお話しをするというお仕事も頂戴したわけだ。

「人生のその時々の選択がなぜ行われたのか」
という道筋が見えたのは講義の直前で、それまでは、ちょっとした道が見つかったと思って歩くのだが、どうも、途中で道がなくなる、そういうものの繰り返しだった。
その枝道を歩き回っていた頃を振り返ってみる。

最初の小道
数学的な思考はとても仕事の上で使っている、ということを話すのが良いのではないか、という小道に入った。
位相空間は一種の偏向フィルターのようなものだし
プロジェクションを逆に見えれば、部分から全体を創造するという手段であるし。
論理学というのは、まさに仕事上で不可欠な思考回路になっている。
ただ、これをわかりやすく話していくというのはとても難しい。

こんなデッサンを描いて思考していました⑴

2つ目の小道
物理は現実。
その現実を説明するための道具としての数学には、複素数・複素平面などの「現実にはないもの」を生み出してきた。
物理、それを拡大する数学、実は、その先にまだまだ見えていない世の中、というものがあるのではないか。
例えば、物差しで1は測れても√2は測れない。でも、正方形を対角線で折れば、そこに√2は実在する。
数学という道具の限界と現実。
物理から数学、その先に実在する世の中。そんなものも楽しいと思うのだが、果たして皆さんが楽しんでくれるだろうか。。。

こんなデッサンを描いて思考していました⑵

3つ目の小道
ところが、少し話を進めると、論理には限界がある。
不確実性。
将来予測なるものは多々あるが、確率100%で予測できるものはほとんど何もない。
それを「確実な物」と誤解するところから課題は発生する。
最近、西洋的な論理的な世界の限界に、東洋的な直観や感性、アートというようなものの重要性が叫ばれてきた。
こういう話も旬だよな、、と思いつつ。次の道を探る。

第3回に続く