市民大学でお話ししてみました(第3回)

市民大学でお話ししてみました(第2回)

論理という話から不確実性という方向に進み、ちょっと行き詰ったところで、基本に立ち戻ってみることにした。

4つ目の小道
算数と数学の違いは何なのか、という基本的な問いに立ち戻ることにした。
そもそも、高校までの数学はほとんど算数ではないのか。

高校で数学が得意な人は大学では物理を学ぶべきで
高校で物理が得意な人は大学では化学を学ぶべきで
高校で化学が得意な人は大学では生物を学ぶべきで
高校で生物が得意な人は大学では?
というような話を大学時代によく友人と話していたことを思い出す。

私はそもそも算数は苦手な方だし、数学科卒の大学教授が「数字は覚えられないです」と言っているのも何度か聞いたことがある。
大学で数学を学ぶべき人は、高校では何が得意であることが良いのか。
これは話の導入としては楽しいかもしれない、と思う。

5つ目の小道
非認知能力、GRID(やり抜く力)。
ダックワースの著書「GRID」で一躍有名になったが、このGRIDの中で、やり抜く力が備わっている例として出てくるのが、ピアノと微積分学なのだ。
楽器の中でもピアノは脳の使いから特別だ、というような話も読んだことがあるし、
そもそもピアノと数学には何らかの関係がありそうだ、とか
音楽と数学には、遺伝的に説明できる要素が多い、とか
いろいろ言われているのだが、どうも、まだまだこの関係はわからないことが多いようだ。
これも、皆さんでお話しをしてみるといろいろな経験値が出てきそうだ。

福山駅のコンコースにあるピアノを時々弾いています。

ただ、ピアノと数学を比較すると、ふと思うことがある。
ピアノは憧れの対象になる。少なくとも「苦手だ」という言葉はあまり出てこない。
しかし、数学はあまり憧れの対象にならないばかりか、「苦手だ」という言葉が生まれる。この差はどこから生まれるのだろうか。
どちらもできたらこれほど楽しいことはないのに。
この差を何らかのヒントにしてみるのも、面白そうだ。

6つ目の小道
数学の中で大切だなと思うもののひとつに、「感じ」というのがある。
昔、東京大学で学んでいた時に、加藤和也先生が、
「数式の中に、滝に打たれている仙人がいますね」
と言われた時に、私には何も見えなかったけど、(周辺の同期もほとんど見ていなかった様子)
「素数のちょっと淋しい感じ」
とか
「数列が収束する感じ」
とか、
もう少しわかりやすいというところでいうと
「微分可能っていうことのスベスベする感じ」
「加速度の加速している感じ」
のようなものは分かりやすい。
この「感じ」というものが先にあって、それを表現しているのが「数学」と捉えることもできる。

こうやって、5月末からの小道を探索する旅は3か月経過した8月でもまだ続いていた。

Lavenhamの畑に続くfootpath。こんな道筋をいくつも見つける旅のようになっていました。

いろいろ試行錯誤している中で、10月6日に戸田市教育長の戸ケ崎勤さんが、Facebookにひとつの投稿をしてくださった。

『アインシュタインの有名な言葉。「教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう。」数学教育で残るのは、「数学的なものの見方・考え方」です。』

第4回へ続く