手入れをするということ

8月の初め、出羽三山最高位の山伏である星野文紘(先達)に導かれ、3日の修行に参加させていただいた。

「感じることだよ」
「考える前に、感じることなんだよ」

と結びに言われた「言葉」、そして、その先達の言葉の「音」、がずっとリフレインしている。

一週間が経過したのだが、ふと
「手入れをする」
という言葉・コトが、頭に浮かんできた

修行で歩いた羽黒山は手入れがされてこの状態が保たれている
月山の美しさは、自然が手入れをしているからだろう。
実は、自然の営みと言うのもそれ自体は手入れのような気がする

これまで、訪れて、感動をしたところも同じだなと思い直した。

石見銀山生活文化研究所。
松場登美さんは、私が、他郷阿部家にお邪魔した時、常に気づいたことに手を入れている姿でおられた。
里山や里海の美しさは、自然の手入れと、人間の手入れの調和だろう。
造営されたばかりの伊勢神宮も美しいが、20年経った伊勢神宮も美しい。

朽ちた家屋も、それが自然に帰る姿であれば美しい。
その姿がどうも美しくない場合があるのは、自然に帰ることができないものが含まれているからだろう。
例えばプラスチック。

海でのプラスティックの問題が注目されつつあるが、これは、自然に戻らないからだろう。

「手入れが大事と言う事は手入れができなければだめだ」
という事でもある

修行から1日経って、そして一週間経過して、次々と感じることが溢れてくる。

以前、動的平衡がキーワードになる、ということを書いた。

第2期定時社員総会を終えて

組織も常に改善が必要だということを感じていたのだが、
「手入れ」
というともっとわかりやすい。

一人一人が日々の環境の変化を感じ、それについて、気づいたことを手入れしていく。
地域を作るということはそういうことではないか。
そして、そのためには、考えるのではなく「感じる」力が大事なのではないか。

日々、その思いが強くなっていく。